google-site-verification=DnSQ2pO53X4Qc1i2H8AbTDgRt-dKxzpFZtPLTWYL5NM名古屋、パチンコ発祥の地? それとも、パチンコ王国?|ベラジョン・遊雅堂 パチンコ・スロット情報サイト - オンパチファイブ
業界概説

名古屋、パチンコ発祥の地? それとも、パチンコ王国?

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皆さん、こんにちは!

今日は、パチンコの歴史について、ちょっと掘り下げてみたいと思います。

「パチンコ発祥の地は名古屋?」

そう聞くと、多くの人が思い浮かべるのは、名古屋市にある「平野パチンコ店」の開業という説でしょう。確かに、1930年、愛知県警保安課に営業許可申請をしたのは、名古屋市の業者だったという歴史があります。

しかし、パチンコの歴史は、名古屋だけではありません。関西地方では、1929年、大阪府や京都府で「自動球戯機」の出店が許可された事例があります。大阪など関西地方では、温泉地や海水浴場など、娯楽施設や縁日での露店でのパチンコ台設置も確認されています。

パチンコ台の原型は、英国で誕生した「ウオールマシン」や「マシン・ア・スー」とされています。日本にも大正末期に輸入された欧州製遊技機が、パチンコ台に影響を与えた可能性も考えられます。

名古屋が「パチンコ王国」と呼ばれるようになった理由は、戦前の「一銭パチンコ」と呼ばれる台が主流でした。投入口に1銭銅貨を入れると玉が出て、打った玉が入賞すると1銭銅貨あるいはメダルが払い出される仕組みでした。射幸心を刺激する要素もあり、1932年に大阪府警から禁止令が出されたのを皮切りに全国的に取り締まりが厳しくなりました。

そこで、名古屋市の藤井正一氏が「鋼球式」のパチンコ台を考案しました。入賞すると硬貨やメダルではなく、玉が戻ってくるという現行の景品交換のシステムの先駆けとなり、パチンコ業界の大きな転換点となりました。

戦後、名古屋はパチンコ台の製造に適した環境を備えていました。ベニヤ板が豊富で、軍需工場で生産されたベアリング玉もパチンコ玉に流用できたのです。正村竹一氏が「正村ゲージ」と呼ばれるパチンコ台を考案し、爆発的なヒットを記録しました。

名古屋のパチンコ産業は、戦後のブームを支え、現在も多くのパチンコメーカーが本社を置いているのです。

まとめ

パチンコ発祥の地は、明確な歴史的な証拠がないため、一概に断言することはできません。しかし、名古屋の「鋼球式」パチンコ台や正村竹一氏の「正村ゲージ」の成功は、名古屋がパチンコ産業の発展に大きく貢献したと言えるでしょう。

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